店主の加藤掌心です。 毎週、今のところ三日程度。 一時間強の講義を、ほぼマンツーで行っております。 永い方は、七年に渡り、毎週通ってくださっており、 お経を句読点で分割して、ひたすら半紙に書かれています。 法華経というお経で、一作ずつ納得いくまで仕上げながら、 現在、序品と云われる部分の中盤に差し掛かっており、 楷書を美しく書きたいというご本人様の目的を少しずつ成し遂げながら、 完成を目指しております。 信仰、信心の有無にかかわらず、ともかく写経をしてみたい。 という志に沿った講義から始めましたので、 当初はうまく書くことを眼目に置いておりましたが、 やがて、この意味はなんですか?何を伝えたいんでしょうね? 一つ一つの質問に答えられるように、私も日々勉強させていただくこととなっております。 完成の暁には、お寺に納経します。 ちなみに、納経した作品は本堂の天井に安置されるそうです。 もちろん、幼少の子供達も教えさせていただいております。 私がとても恵まれているな。と日々感じることは、 どうやら、彼らは天才であるようなのでございます。 うまくいかなければ泣き、失敗すれば拗ね、疲れたらグダり。 ここまで感情をあらわに物事に向き合える大人は、どれほどいるでしょうか? その反動でしょうか。 ひとたび衝動にかられると、黙々と自分の理想に向かって、 感情を捨てて半紙と向き合います。 捨てるというよりは、忘れているといった方が良いのかもしれません。 彼らから学びとりながら、そういった姿勢で作品制作に向き合えることは、 私にとって、とても幸せなことだと感謝しております。 幸せとはいったいなんなのか。 考えれば考えるほど、ぼやけていくもののような気がいたします。 おそらくは、条件や仕組みや環境や。そういった煩雑なことへ、 意識と視点が、手前にあることから先に向かってしまうからかもしれません。 ブルース・リー、「燃えよドラゴン」での台詞である、 「考えるな、感じろ。」(Don't think!Feel) まさに、それが、実は幸せへの道のりをまっすぐに照らす光で、 その光源は、常に己から発動されているのだと、私は考えているのでございます。 書き上げて満足かどうか。 手本を与えられて、そのお題から何を感じ取るか。 手本どおりにうまく書き上げることが全ての答えだとするならば、 それは単に記号の転写でしかなく、文字ではございません。 感じたままを、まずは自分の心で表現する自由を、 画仙紙という小さな世界で味わうこと。 満足感は各々が用意しているもので、 そこへ到着するための道案内が、私の仕事です。 どんな人の歩みも、美しいものです。 また、このことから、美しさとは常に己に向かうものです。 美しい文字には、人生と矜持が宿ります。 だからこそ、同じ美しさなどはありえないのでございます。 あなたには、あなただけの美しい文字があるはずです。 それを共に求めて行くことが、当教室の役割であると、
「感じて」いるのでございます。 本日もお読みいただき、誠にありがとうございます。拝
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